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幸福の報告書

隣にある工場から戻り、いつものように台所へ向かった。すると話し声がしドアーを開けると、初めて見かけた人とマリヤ(妻で純然たる日本人)が会話をしていました。 流し台の一段高いところにステンレス製の浄水器が取り付けられ、その使い方の説明を受けていたのでしょう。妻は、私に気付くと開口一番、「母のお金で付けたのだから良いでしょ」。断固たる言葉を発しました。妻は、その水を作る機械、つまり浄水器を買うことを私に相談すると反対されると確信していて、その時92歳だった母親に身体に良い水、環境によい水、仕事にもなるのよと伝え、母がいざと言う時のために用意していたそのお金を使ったということでした。そういう訳で「・・・いいでしょ」の意味はこのことについては一切、文句を言うなとの宣言でした。
 実にそのとおりで、私は水については全く興味がなく、意識して水を飲むとか、まして水に良し悪しがあるなんて想像もしませんでした。ただなんとなくいつの日からか水道水は直に飲みたくないと感じていました。我が家を新築したときも業者の方に勧められるままシンクタンク用(流し台の下)のものを付けました。ですから、もし、妻が浄水器を取り付けることを私に相談していたら即座に「いらない」と答えたと思います。
 私がリビングに歩いてゆくと工事に来られた方は、食べ物を水につける、食器洗剤はなるべく使わない、水のエネルギーがどうとか、私に聞こえるように言っているようでした。無関心だった私は何の反応を示す事もありませんでした。そのような事情で自然回帰水生水器なるものが我が家に取り付けられたのは20037月のことでした。
 私は電気制御盤を制作することで生計を立てています。昭和62331日私は勤めていた会社をある理由で辞めてしまい、ふと、なぜかわかりませんが、以前よりお世話になっていた堀徹さん、(妻の兄)を尋ねてみようと思いました。事情を話すとすぐさま、「明日から一緒にやろう」と言ってくれました。堀さんはこの年の初めから、独立し一人で制御盤制作の仕事をしていました。もちろん一人で立派にこなしている方もいらっしゃるのではありますが、盤制作の仕事は一人ではとても大変なのです、たとえば受注してから納めるまでの制作期間も短いですし、重いものも扱います。また大きさ等様々な問題があります。そんな理由で堀さんは誰か一緒にできる人はいないかと思っているところだったようです。以前より私のことを気が合いそうだと感じていて、経験も7.8年あることを知っていましたので退職してきた事を聞き、すぐに「一緒にやろう」そして、驚きましたがなんと「儲けは折半にしよう」とのことでした。堀氏は当時でも設計の方々から相談されるほどの知識と経験の持ち主でした。共同経営といっても、会社組織ではなく、売上から家賃を払い月々の材料費、給食代金等支払いを済ませさらに、借入金(開業時の資金)を返済し残ったものを二人で分けるというだけのものでした。一部、借入金には金利50数パーセントのいわゆるサラ金からのも

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