前ページ   P5   次ページ
幸福の報告書
すが洋子と「さくら」の久しぶりの再会のようすが嬉しくて一緒に連れて行きます。空港の駐車場に着くと、私と「さくら」は日陰に車を止め二人の来るのを待ちます。マリヤが一人空港の建物に入り、数ヶ月ぶりに合う母娘、お互いの姿を確認し微笑みます。そして大きな荷物を二人で分け合って持ち,キャスターの音をさせながら車に近寄ってきます。「さくら」は洋子に気が付くと吠え始めます、ドアーを開け裏返った分けの解からない声を発し撫で回す洋子、飛び上がり顔をぺろぺろ舐めまわす「さくら」、この短い再会の瞬間が、私達にとって心に安らぎを与えてくれます。(ちなみに「さくら」は人見知りがはげしい犬でほとんど家族以外の人に近寄る事はしません)空港駐車場からいつものように一般道で帰るつもりだったのですが、気が付くと高速道路を走っていました。
「あ、なんでもない」
「高速だよな」
「どうしたんだろう」
唖然として私が言うとマリヤはこう言ったのです
「水のおかげよ」
「私が取り入れた水があなたを変えたのよ」
私と洋子は「そんなこと、ある分けないじゃない」と笑っていました。しかし、そのとき以来、高速の運転は私の仕事となり、翌月7月東北道を利用して岩手県北上市へ私の運転で改造の仕事をしてきました。片道約600kmあります。また「さくら」に子どもを生ませる事になり、さくらの生まれ故郷で浜松にある、小松ファームさんにお願いすることにしました。運転は勿論私で、往復10時間ほどかかったのを覚えています。
 その時の子犬たちが成長して、一番小さかったお茶目な女の子は「小梅」と名づけられ、東村山のTOさんにお世話になり、ちょっと大きな雄はお孫さんたちから名前を公募して、その中からご主人が選んだというグランプリの「グラン」と呼ばれ、所沢のTAさんに可愛がられています。そして3匹目の少々ひ弱な子犬は「さくら」と同様、洋子にフランスの女の子に多い名前なのだそうですが「ベアトリス」という名を付けられ、さくらと共に我が家で暮らし、時々じゃれあっています、もう2歳半になるのですけれどもいまだに雷、花火の音に震えています。
 成田空港の出来事の後も、私は以前のように、水でこのように変わるなら「医者なんか要らない」、つまり変化があったのは事実なのですが水がその原因だとはどうしても思えませんでした。相変わらず妻とその仲間達の行動に不信感をいだきながら日々を過ごしていました。
 半年が過ぎ12月になっていました。リビングにある雑然としたサイドテーブルの上に深い海と抜けるような青空を背景にした表紙の一冊の本が置かれ、「水飲み健康法」(仮名)と題されていました。ここにも妻の策略があったように思いますが、それを手に取りページをめくっていくうちに
トップページへ戻る