4月3日、とかち帯広空港に到着、移動式タラップを歩き空港の建物へ。レンタカーの契約を済ませ、カーナビを操作、電話番号を入力してホテルを設定、ハンドルを握り一路市内へ。目に映る風景はとても新鮮なもので、遠くに望む山々の純白、道路を飾る白樺、畑を覆う雪、陽ざしは車内を暖気で満たし、「北国の春まじか!」を感じさせるものでした。高規格道路、帯広広尾線(無料・制限速度70キロ)の風の強さには、思わずスピードを落としました。日高の山なみから白色が消えないと、この風は収まらないと言います。そして、それはあとひと月、5月連休の頃になるとお聞きしました。
ホテルでいただいた地図に、ふと目をやると、左下方に3センチ角ぐらいの写真が2枚ありそのひとつには、思いがけない名前が書かれていました。坂本直行記念館いう文字でした。
3日ほど前に決まった、急な出張でもあり、予定の変更も加わり、初めて行く帯広がどんな所なのか、全く知らないで(調べないで))の出発となったのでした。そして目にした、坂本直行、すぐに連想させる名前が広尾又吉、そして彼らを私に紹介しているのが星野道夫です。
3年前に星野道夫の書いた文庫本、「旅をする木」をある人から頂き、私と生まれた年が1952年で同じということがとても大きかったのだと思うのですが、何度も、何度も読み返すことができたものでした。今でも時折、目をとうしています。星野は生前、坂本さんには逢っていませんが北海道、北国への憧れを強く抱かせたのは、坂本さんの書かれた絵や文章だと言っています。星野は26歳にしてアラスカへ移住し、44歳にして熊に襲われ死すまで、エッセイストとして、又、日本並びにアラスカを代表するカメラマンとして活躍します。「旅をする木」というエッセイの中に”坂本直行さんのこと”という一文があります。そこに坂本さん、広尾又吉について、やはり星野らしいやさしい視点で記しています。そして記念館の完成時に招待されたが出向けず、後日、訪ねる場面が書かれています。その時の星野を、その場で想像したくて一度は行ってみたい所と成った訳であります。
星野がこの書をはじめ、あらゆる場面で書いている人間の弱さ、脆さ、存在の不可思議。「旅をする木」139ページに”それにしても人間は、何とそれぞれ多様さに満ちた一生を送る生き物なのだろう”と書かれています。自ら選んだ坂本さんの生きざまも、アイヌのリーダーとして送った又吉老人の生涯も、実に個性的なものです。私もこの本を何度も読んでいるうちに、自分らしく生きたいと思うようになりました。
星野道夫の一冊の書によって、時間の感覚も、空間のとらえ方も、つまり人生そのものについての考え方が変わりました。
いつ日かアラスカでの星野にも、会いたいと思っています。
写真の建物を遠くで目にした時、とてもうれしく感じました。それは星野道夫が目にした、同じものをみている、ただそれだけでのことでした。 偶然、目にした坂本直行記念館という文字は、星野の人生のたったひと駒でもいい、同じ空気を感じたいとの強い思いを湧き起こしました。このサイロを左手に見て、進んでゆくと行き止まり右手に、六花亭の工場があり、星野の文章の通りの情景が存在しました。拡大写真の風景は4月初旬のものです。奥に記念館はあります。開館は4月25日よりと書いてありましたので、本当に空気を感じたいと思いだけで、やってまいりました。
坂本直行・広尾又吉・星野道夫
帯広市内から中札内へ向かって走ります。偶然にもメインの道路ではない、車はほとんど通らず、ゆっくり周りを眺めながら走れる道。何度となく車を止めては風景写真を撮ることになりました。この地域の方々の心の余裕なのか、皆さん楽しい工夫を凝らした表札が次々と現れます。私は電気設備の仕事をしていますので、特に興味を引かれたのだと思いますが、かわいい熊をイメージしたもの(写真)、機械装置の内臓むき出しの面白さに、思わず停車、パチリ。
見事な直線道路を走り続けます。陽ざしの温かさ、きれいな空気、まっすぐ伸びた白樺の美しさに車を止めました。記念撮影3枚。実に美しい最近にない自慢作です。美しいのは風景なのですが、それを上手に切り取れたと思っています。白樺の1メートルぐらい右側にある棒のようなもの、ある感覚で出てくるのですが、どうも北国特有の、ここから道路ではありませんよという、雪道となったときのための境を表示いるもののようです。
南西の方向へどんどん走ります。カーナビの指示により南の方角へと曲り、次は札内川のものとなります。写真を撮ったときのイメージは特に鮮明で、脳に残ります。しかし、現像したものを見るとまるで違ったものですね、本当にがっかりです。
これらの写真(札内川のもの)も、もっと違っていたようなイメージがあるのですが。
私は橋の上に車を止め撮影。その橋を上手(かみて)へ、下手(しもて)へ行ったり来たり、雪解け水が豊かな流れを演出してくれています。この流れもしばらくすると十勝川へ合流してゆきます。滞在した一週間の間、天候にも助けられました。 もうすぐ記念館です。