前ページ   P1   次ページ
旅立ったグラン

 今年7月のある日買い物から帰ると、Tさんから手紙がきてますよと、祖母(女房の母)から封筒を受け取った。私は、いつもの様に開けた。、ご近所のワンチャンやご家族と楽しそうに遊ぶグランの姿を思いながらの開封でした。それは時々いただける、写真入りのお手紙と思ったからでした。
 しかし、そこには一枚の写真もありませんでした。写真が無いよ私は妻に大きな声で言いました。その瞬間、涙があふれていました。文章を目にする前にグランの「死」を感じました。次から次へとあふれる涙、どうしようもない心の動揺、その空気は愛するものを失う人間の醸し出す、暗く淀んだ激しい感覚でした。まったく予測しえいことに遭遇したといことです。
 「悲しいお知らせをしなくてはなりません・・・」で始まるTさんの心からのお詫びが記されていました。私たちの会話は、Tさんご夫妻の言葉に尽くせぬ「グランの死」についての悲しみと、私たちに「グランの死」を報告しなければならないと言う、重い苦しみについてでありました。死そのものよりも辛かったかも知れません。私たちに伝えられた手紙は、49日を迎え「心の整理」をしなければならないと考えて、と言われます。その空白の時間がそのことをを表しています。
 グランは2005年2月16日、我が家の愛犬コーギー「さくら」から生まれた、唯一の雄犬で、身体が生まれたときから大きく320グラムで生まれてきました、小さかった「小梅」は260グラムでした。その大きさが理解していただけると思います。
 3年前に帝王切開で生まれ、引き取りにいったときには先生方に、3匹を区別するために耳のところが白く「しろ」と呼ばれていました。しばらくはそう呼び、1週間後には「てつ」、Tさんでは見事な風貌にふさわしいグランプリの「グラン」と名づけられました。
 母「さくら」は3匹の子犬を生んだのですが、オッパイがしばらくの間、出ず、私たちが哺乳瓶を使って1日6回、3時間毎に授乳をさせ、初乳が出始めても量が少なく、完全に離乳食になるまで続けて、「さくら」と一緒の子育てをしました。
 一ヶ月程過ぎますと活発に動きまわるようになり、我が家はまるで毎日,運動会、子供同士、母親とのジャレアイ、小さな「小梅」が一番活動的で母親にも、「グラン」にも戦闘を仕掛けます。「グラン」はワンテンポ遅れて反応するような、身体の大きさの違いがあり、小さい「小梅」に倒され、乗られ、いつも受身で見ていていかにも鷹揚な性格そのものでした。母「さくら」は「小梅」の動きよりも素早く動く大人で、何よりも貫禄十分、小梅の攻撃には負けず、もっと激しく逃げたり、責めたり、まるで躾けをしているようでした。しかし、身体の大きな「グラン」が小梅たちを攻めたてると、母親「さくら」はいっそう厳しくしていた様に感じられます。それでも「グラン」は大好きなお母さんとのお遊びと、受ける躾けは続いていました。春の陽射しの中で一本のロープ(太さ2cm長さ15cm)を三匹の子犬が引っ張り合ってます、
トップページへ戻る