かけがえのない人の死
2010年3月25日 神田 正
「海賊船事業」を通しての知人から、突然の電話「氏」が他界したことを告げるものでした。「氏」が初めて我が家に来られた時の印象は、その風貌、早口の大阪弁など海賊船の船長そのものでした。「海賊船事業」とは「氏」が中心となって実施した、子どもたちの文化交流を目的に、手作りで全長9m幅3mの船を作り、隅田川を実際に下るというものでした。
若い頃、画家を志しフランスへ渡り「ル・サロン展」で入賞されたこと、画家を辞めてからの楽しかった生活などを話してくださいました。少しお酒がまわると紙と鉛筆を持ち出し、リンゴを書き始め、鮮やかなタッチで光と影を表現し、これが印象派の絵だ。もう一枚、なんだか分からない絵を描いて、これがピカソだよ、「食った時の味を表現しているんだ」と言っていたのをよく覚えています。全身に情熱・気迫を漲らせ、笑顔は少年のような方でした。
享年65歳と伺っておりますが、人生を全うされたすがすがしい逝き方、休むことをしない生き方、今やっと休むところを見つけたのではないでしょうか。ご冥福をお祈りいたします。
多くのことを教え、導いてくださった「氏」に末筆ながら、お礼の文章を送りたいと思い書かせていただいております。
やはり、初めてこられた時だと記憶していますが、武者小路実篤の「真理先生」を読むといいよと勧めてくださいました。
翌日、私は図書館に行きその書を手にしました。なぜこの書なのか99歳(当時96歳)の義母が、型染めと称する絵を描き続けていることが作品中の「馬鹿一」とダブったのではないかと、読み進んで行った時分かるのですが、何度も読ませていただいているうちにこの書全体を知ってほしかったのかなと思うようになりました。
次に来られた時「氏」の前で
「人は誰も死ぬものなり
最後に苦しんで死ぬものなり
人はすべて憐れなものなり
されば我は人を無限に愛するなり
そして少しでも幸せにしてあげたいと思うなり
唯、思うなり」
私が暗唱すると
黒沢映画を見たとき以来、久々に聞いたなと言われ涙を見せて感激されていました。その様子を拝見し「氏」の真髄に、この精神を感じたのでした。
私の人生に広大な空間と時間を与えてくださった「氏」、ある文章に「かけがえのない者の死は残されたものにあるパワーを与えてゆく」とありました。「氏」の死に遭遇し、その文の意味が少し理解できたように思います。そして、多くの人にパワーを与えてゆくものと信じています。
私は微力ながら、氏が、長年取り組まれてこられた障害者支援の活動を皆様とともに進めてまいりたいと思います。
最後に「氏」が常々言われていた言葉を記し、お礼の文章を終えたいと思います。
「動けば必ず風は起こる」